センスを磨く





センスは誰もが磨くことができる

センスとはなんだろうか。

身近な会話だと「”あの人”はいつもおしゃれな服装でファッションセンスが良い。」などが思いつくだろう。

定量的なものではないこともあってか、”あの人”には生まれ持ったセンスがあって、自分にはセンスがないと諦める人もいる。

実はそうではない。センスは努力で磨ける。

ファッションセンスが良い”あの人”は、何も考えずにその服を選んでいるわけではない。

努力が隠されている。(一部何も考えずに、何も知らずに感覚的に選ぶものがいつもセンスが良い人もいるだろうが。)

“あの人”は、どんな服装が良いか/悪いのか知っていて、その知識を使って自分を最適化している。

良し悪しを知るために、雑誌を読んだり自分でいろんな服を買って試したり、トライ&ラーンを実践し努力している。

努力して得たモノゴトの良し悪しを判断するモノサシを使って、さらに客観的な視点を持って自分にとって最適な服装を選んでいるのだ。

センスを磨くということは、モノゴトの良し悪し(普通であることを含め)を判断するモノサシを持つことから始まる。

そのモノサシは知識から生まれ、知識は誰もが得ることができる。

すなわち、誰もがセンスを磨くことができる。

モノサシの精度

では、モノサシを持っているとはどういうことなのか。

なんとなくそれを選んだというような感覚的な理由ではなく、「こうだからこれを選んだ」と説明がつく状態、それを感じ取れる状態である。

センスと聞くと感覚的なイメージではあるが、センスが良いとは知識の集積から論理的に判断し選択した結果である。

その過程で大切なのはモノサシの精度と考える。

精度は、細部にまでこだわることができる審美眼と知識量によって高められる。

そして見落としがちなのは客観性。

自分の好みだけを選択していては、他人からセンスの良い人とは言われないだろう。

客観性がなければ、他人からすると、ただのこだわりが強い人である。

コンサルタントとデザイナー(倫理と感性)

少し事後との観点でみていこう。

コンサルティングの仕事をしているとロジカルにモノゴトを考えるようになっていく。

しかし、ロジカルシンキングで最適化できることが必ずしもセンスの良いコンサルタントではない。

たくさんの情報からいかに本質を感じられるか、気づきを得られるかが、センスの良いコンサルタントかどうかの分け目である。

センスの良いコンサルタントは、きっと独立できるもしくはパートナーになれるだろう。

一方で、デザイナーは、感覚的に表現するのではなく、情報の要素を細分化、構造化し整理しながら論理的に説明することができるかどうか。

それがセンスの良いデザイナーかどうかの分け目ではないだろうか。

センスの良いデザイナーはきっとクリエイティブ・ディレクターになれるだろう。

そして、それぞれの職種は対照的だからこそ今歩み寄っているように思える。

センスを磨く一歩

この一歩は重く感じられるかもしれないが、実は簡単である。

過去の良いとされているモノゴトを知ることから始めると良いだろう。

ここでいう知るということは、何が良い要素なのか(何が悪い要素なのか)細部まで注目し理解することだ。

その細かな要素から、何か共通事項を感じ取ったり気づいたりすることでモノサシが少しずつ出来上がる。

そのモノサシを使って判断し、時には間違えながらも行動することで確実にセンスの良い人に近づけるだろう。”あの人”のように。

Aesthetic Intelligence